お盆と映画☆その3

なんだかキナ臭い感じがしてきました(^^;;
誤解しないでいただきたいのは、あくまでも業界批判とかではないんです。ただ、自分自身も観客として考えた時、それでいいのかなぁ?と疑問に思うことを書き綴っている。それだけのことなんです。
例えばこういう例もあります。
和田 竜さんの『のぼうの城』という作品がありました。
この作品は、実は【城戸賞】という映画脚本のコンクールで別のタイトルで大賞を受賞されました。受賞した脚本はそのまま映像化すれば3時間を超える作品で、現在の上映作品として難しいことがわかっていました。ただ、内容の面白さから作品化はしたいというプロデューサーからの提案で、まず映像化ではなく小説として売り出してそこで読者の反応を見て、出版社などを巻き込んで映画化するという流れを薦められたそうです。もちろん、小説は和田さんが執筆されて。
作戦は見事当たり、小説として人気を博した本作は出版社を巻き込んだ形で【原作モノ】として映画化されることになったわけです。
この例でもわかる通り、本来映画脚本でも充分に面白い作品だからこそ、小説化しても楽しめる作品になり得たわけで、決して映画脚本でオリジナルが書けないわけではなく、単純に製作に当たって出資者へのアピールポイントとして、小説として顧客を掴んでいるということが重要だったというわけです。

そう。中身の問題ではないんです。
自分が出資することを考えると、確かに「博打」は怖い。何か出資することに背中を押してくれる材料を求めたくなるのは理解はできます。しかし、このやり方をやることで、いつくかの問題も出てきます。
まず、製作までに期間がかかります。小説化するにも脚本をノベライズ(小説に)する作業は簡単でもないし、そこから校正したり、装丁デザイン、印刷、書店に流通と工程を考えれば、まぁまぁな時間は必要です。
さらに書店で売れていくまで早ければいいですが、ここにも時間はかかります。読者を獲得することで【原作モノ】にすることが目的ですから、売れるなり話題性がなければ意味がありません。少なくとも話題になりそうだと判断できるところまでは待たなければなりません。
利益構造で言っても、出版社という版権者が増えることで、出資金は増えるのでしょうが版権者が増えることで版権ビジネスはより複雑になります。そうした手間と時間が余計にかかるのがオリジナル→原作モノという流れです。まぁ、昔から映画→ノベライズという流れもあるにはありましたが。

脚本の内容がいいならすぐに映画化すればいいのに。というわけには行かないのが、日本の映画ビジネスなんです。どれだけ内容が良くても、良い作品を作ったとしても、売れるかどうか?売りやすいかどうか?が判断しやすくなければ製作費が集まらない。製作費が集まらなければ映画は作れない。
場合によっては、原作が有名であったり、話題性があり、読者が観客となることがかなり高確率で見込めるなら映画そのものの質は問われていない、ということもあります。話題先行で大コケする作品があるのはそのためです。金ばかりかけて中身をちゃんと精査せずに作り上げた結果、どこにも共感できないシミュレーションゲームみたいな作品が出来上がることがままあります。本当は誰もそんな作品は作りたくないはずです。でも、製作実行委員会による様々な制約で雁字搦めになった結果、誰にも喜ばれない作品が生み出されることも残念ながら事実です。
まぁ、これはあくまでも予算規模の大きなメジャーの映画ビジネスのお話です。予算規模の小さなインディーズ作品を作る現在の我々には、今のところ関係ない話ではありますが。。。
さて、そろそろ本題に入りますか。次回をお楽しみに☆