お盆と映画☆その1

8月24日(土)上映の短編映画『大きな木になりたい』から。

 皆さん、こんばんは。KAMUIの日浦明大です。令和元年のお盆はどうお過ごしですか?
 帰省してゆっくり過ごされていたり、レジャーを楽しんでいたり、あるいはお仕事に勤しんでおられるのでしょうか。しかし、日本はどこにいても暑そうですね。

 私は奥さんの実家のある長崎で過ごしています。
 長崎のお盆は他県とは少し違って、朝な夕なと爆竹やらやび矢(ロケット花火のこと)の音がどこかから聞こえて来る感じです。というのは、長崎にはお盆に帰って来られたご先祖様をお墓でお迎えする際、迎え火ではなく花火でお迎えするという風習があるからです。
 はじめてその光景を見た時はさすがに面食らいましたが、結婚前から毎年のように長崎に帰省している私には、もはや当たり前の光景になっています。

 さて、表題の【映画】のお話。

 気がつけばこの2年半ほどで『たいようのドロップキック(2017)』『大きな木になりたい(2018)』『YOSHI王-誕生編-(2019)』と3本も映画を製作していたわけですが、製作するのも大変なら、これをリリースしていくのもホントに大変。。。
 いや、泣き言を言ってるわけじゃありません。ただ、ひたすらに良い作品を作ることを主眼に走り出すのと、できた作品をたくさんの人にお届けするのとは、全然違う工程ながらエネルギーはどちらも凄まじく必要なものです。それを言ってるだけですので他意はございません。。。

 映画って大変ということを言いたかったのではないのです。ちょっと最近の映画について思うところを、お盆で何の作業もできないのなら、ツラツラと描いてみようと思った次第でございます。

 近年、日本映画が非常に好調だと言われています。
 過去の興行収入記録がどんどん塗り替えられて、さらに【Cool Japan戦略】の賜物か、海外へも展開して好調だなんて言われてます。その理由は【原作モノ】が多い(ほとんどがそう)ことに起因していると考えられます。

映画『YOSHI王-誕生編-』から。妹・雪のもとへ急ぐ主人公・丈

 【原作モノが良い】という意味ではありません。また悪いと言いたいわけでもありません。

 ジブリ=宮崎作品や独特の世界観とストーリーで人気を博した新海誠作品は別として、基本的に大人気のコミック作品の実写化は、そのコミックの読者=ファンがいる限り、日本に限らず海外へも持って行きやすいというのがあります。ポケモン、ドラゴンボール、ワンピースなどのアニメ作品での成功の恩恵を実写映画も受けようというのはビジネスとして考えれば当然のことと言えます。

 そもそも、海外進出なんて大きな話でもなく、日本映画は衰退期に博打を打てない現実から【原作モノ】に走りました。それはテレビの影響も大きいでしょう。今や映画のほとんどはテレビ局が製作していることが多いのが現実です。
 映画製作で重要なのは何と言っても製作費の捻出です。製作費が続かずに頓挫した作品は数知れず。現在でも普通にそんな話は転がっていますし、実際に見聞きしました。それほど映画製作にはお金が掛かりますし、充分な費用を確保することは難しいわけです。

 テレビが映画製作に本格的に参入したのは多分バブルの頃。いわゆるアイドル映画なんかは大抵テレビ局が絡んでいましたし、かなり積極的に動いていた局もありました。それまではフジテレビのテレビシリーズからはじまった『男はつらいよ』のようにテレビシリーズから映画になった作品もありましたが、どちらかというとテレビ局製作というより松竹が完全に引き取った形ですのでテレビ局製作とは少し違うかと思います。

 「テレビ局が映画を作る」ということに映画業界には根強い反発はあるようですが、大手広告代理店と組んでスポンサーから予算を引っ張ってくるテレビ局に対し、資金力では如何ともし難く、結果テレビ局と組むことで映画製作を維持していく形になって行きます。

映画『たいようのドロップキック』(2017年製作)から。

 そこで出てくるのが【原作モノ】問題です。

 テレビ局としては、スポンサーへの手前、視聴率を稼ぐことが大命題ですから、結果を残すことが重要になります。黎明期のテレビ局であれば、著名な作家(劇作家、映画脚本家)によって作品を生み出していくこともありました。名の知れた作家が脚本を担当すれば、それだけで原作モノのように視聴者にアピールできたからです。
 例えば、花登筺(はなと こばこ・番頭はんと丁稚どん、アパッチ野球軍、どてらい男、あかんたれ)、ジェームス三木(西遊記、澪つくし、独眼竜政宗)、倉本聰(前略おふくろ様、北の国から)、向田邦子(寺内貫太郎一家、時間ですよ)、市川森一(傷だらけの天使たち、怪獣ブースカ、ウルトラセブン、長崎ぶらぶら節)、山田太一(ふぞろいの林檎たち、キネマの天地、少年時代)、小山内美江子(3年B組金八先生、翔ぶが如く)、橋田壽賀子(おしん、春日局、渡る世間は鬼ばかり)と言った著名な脚本家はその名前だけである程度の数字が見込まれました。しかし、それは限られた作家であり、そうした作家はギャラも高く予算管理の面からも常に使えるわけでもありません。
 これに対して、すでに多くのファンを獲得している小説などを【映像化】するとそのファンが確実に視聴者として計算できる為、スポンサーへの営業も考えると企画が通りやすいというわけです。
 現在でも今年(令和元年・2019年)の7月期のテレビドラマのゴールデン枠はほとんど全てが原作モノ。視聴率という指標そのものが疑問視される中、不確かな数字を追う為に権利モノを選ぶ風潮は極まっていると言っていいでしょう。

8月24日(土)上映の短編映画『大きな木になりたい』から。成長したヒロイン・芽来(めぐる)。

 その流れを加速させたのが【製作委員会方式】です。

 「○○製作委員会」「△△製作実行委員会」という文字はテレビでも映画でもよく見かけますよね。あれこそ、原作モノの象徴と言えます。
 ビジネスということで考えれば確かに「すでに多くのファンを獲得している原作モノ」は魅力的です。昔とは違い、現在はソフトの二次利用を前提にビジネスが展開されていますから、製作・放映(上映)後はDVDブルーレイ、その他のグッズ販売権、主題歌のセールス原作の新装本販売といったあらゆるビジネスの版権を作品に出資することで製作委員会の参加企業で分け合います。

 その為、作品には一定の制限がかかったり、場合によっては原作とは違う表現を求められたり、まるでCMのような作品になってしまったりすることがあります。変な話、作品としては本来あるべき表現であっても、出資者に不都合な内容や表現はNGになることはままあります。それでも、作品を作らなければならないテレビ局や映画会社としては甘んじて受け容れざるを得ないわけです。

 ということで、テレビ局や映画会社、スポンサーに依存しない作品づくりを志向して、【自主制作】という道をあえて選ぶ向きもあるわけです。実際、すでにメジャーで作品に参加している役者さんや、監督があえて自主制作映画を製作するという流れもあります。

 あ、いっときますが、私はそんなたいそうな人間ではないので、ただ単にメジャーで作る流れにいないだけのただの作家です。特に私の場合、シナリオスクールで「シナリオライターって、メジャーにならないとめっちゃ底辺やん」というのをまざまざと見せつけられたのが映画製作をはじめたキッカケでもあります。

ということで、かなり長くなったので今日はこの辺にして、次回はシナリオの世界について書いてみようと思います。この話が映画やドラマの話に繋がって行きますので、どうぞしばらくおつきあいを☆

【お盆と映画☆その2へ続く】

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