八光流木鶏塾について☆その1・指導

八光流柔術大阪道場・八光流木鶏塾のウェブCM

ご存知の方も多いかもしれませんが、
最近、大阪・天満橋にある古流武術・八光流柔術の大阪道場【八光流木鶏塾】さんの
動画を中心とした広報関連のお手伝いをさせていただいています。

あ、そうそう。
昨年製作した映画『YOSHI王-誕生編-』では
プロデューサーと武術監修を担当していただき、出演までしていただいた
垣本雅史(号・秀峰)さんが代表を務める道場です。

実は、垣本さんと私は40年来のお付き合い。
いや、何せ出会ったのが8歳とか9歳とかそんな頃のお話しでして。。。
しかも家が筋向かい。
電話で「今(家に)おる?」「おるよ」「ほんだら行くわ」
と言ったら30秒後に家のチャイムが「ピンポォーン♪」と鳴る世界。w

これまでも色々とあって、何かと節目にはそれぞれが顔を覗かせているような
そんな間柄でした。

例えば、私が前職の会社に入社したのは彼のお陰ですし
そのこともあって、彼は私の格闘技の兄弟子にも当たります。

私がKAMUI ENTERTAINMENTを設立した際、
名刺を作成して最初に届けに言ったのが垣本さんでした。
その時、「いつか一緒にアクション映画を作りましょう」
と約束して、そのほぼ1年後に『YOSHI王』でタッグを組むなんて
その時にも、どの時にも想像はしてませんでしたが。

垣本雅史さんがプロデューサーと武術監修を担当した映画『YOSHI王-誕生編-』

そもそも『YOSHI王』の企画を立てた際、
私自身も格闘技経験者で動きの指導や指示はある程度はできました。
しかし、主人公が習得している【最強の日本武術の流派】という設定から
「日本の古流武術に詳しくないとできないな」と思った時

あ、適任者がいる。

とすぐに思い至りました。
すぐにアポイントをとって話をすると二つ返事で引き受けていただきました。
まぁ、その時のあれやこれやはまた別の機会に。。。

それからしばしば「八光流木鶏塾」という道場に通わせていただくようになり
稽古も何度も見学させていただいていて、
古流の道場としては非常にユニークな空気感があるなぁ
とは感じていたんですね。
(その辺の話はまた後ほど)

で、いざ『YOSHI王』の武術監修としての俳優さんたちへの
武術指導が始まってそれは確信に変わっていったんですよね。

まず彼は技や動きを教えませんでした。

俳優さんたちにはそれぞれに運動歴があります。
逆にいえば、運動なんてほとんどやったことがない人もいたわけです。
例えば、主人公の鹿御代 丈(かみしろじょう)を演じた本田大輔くんは
元々アマチュアレスリングの選手でした。
彼が演じる鹿御代 丈は日本の古流武術で最強と言われる武術の継承予定者という役柄です。
もちろん架空の武術ですし、お話自体が「フィクション」なわけですから
別段何も問題ないといえばそうです。
しかし、リアリティのある映像を作るには、所作や佇まいといった
動きそのもの以前の部分というのは非常に重要です。
その意味でいうと本田くんは日本武道の人の体つき、所作ではなかったんです。

また、タイトルの『YOSHI王』という謎の少年を演じた松田 花くんは
当時、小学校の六年生で撮影直後に卒業式というタイミング。
彼もまた運動が得意な人ではなく、KAMUI映画1作目の
『たいようのドロップキック』で演じた主人公・神田大洋同様
その撮影の直前まで逆上りができない少年でした。
もちろん武道の心得などありません。
その彼の役柄は、少年の体の中に武道の達人の魂が宿っている役で
大人を瞬殺してしまうほどに強いという役でした。

映画やドラマでは【殺陣(たて)】というものがあります。

殺陣は受けが重要で相手役が綺麗に「やられ」てくれれば成立はします。
しかし、それでは画としての迫力が出ない。
説得力のある【画】にするためには、やはり所作や佇まいを作る必要がありました。

YOSHI王の武術トレーニングの際の一幕。左から垣本さん、真柴くん、日浦(中央)、宮前愛由美ちゃん。八光流木鶏塾にて。

また、鹿御代 丈のライバル・獅子堂 骸(がい)を演じた真柴幸大くんは
華道や調理師の免状はあっても運動歴はないに等しい人でした。
しかし、彼の役は【髑髏会】という喧嘩集団を率いる最強の喧嘩屋です。

こんな様々な運動歴の持ち主たちを
画面上、その人物であるように見える所作や佇まいに作りあげる。

言葉でいえばそれだけのことですが決して簡単なことではありませんでした。

しかし彼は、そうした俳優たちを見事にそれぞれの役の所作や佇まいに仕上げていきました。
しかもたった1ヶ月という短期間で。

そう。1年とか半年でという話ではなかったんです。
彼に与えられた時間はたった1ヶ月しかありませんでした。
あ、私自身の弁護?のためにいっておきますが
私は決して無理をお願いしたのではありません。
そもそも、この映画自体、製作期間が4ヶ月しかないという
無茶な企画でしたw
その中で、企画して脚本を作成して
稽古や準備をして撮影して編集して。
そういう時間を考えると、役作りには1ヶ月しか時間が取れなかったんです。
(この話のどこが弁護になっているかはわかりませんw)

何故そんなことができたのか?

それは指導方法に答えがあります。

指導方法と一口にいっても、これを言い表すことは中々に難しいです。
何しろそれは、
【その人に対して個別で出される的確な指示】
としか言いようがない。
運動歴も経歴も年齢もバラバラで
癖も何も全然違う人たちです。
また、それぞれの役の背景というものがありますから
それに応じて肉付けしていくべき事柄が違う。

この条件で、普通なら『やってられるか!』
とちゃぶ台返ししたくなっても文句は言えない。普通なら。

しかし、俳優たちは日に日に変わっていきました。

もちろん大前提として、俳優さんたち自身の努力があります。
いくら垣本さんが神業的な指導をしたとしても
それを受け取る側がちゃんと受け取って
道場にこない間もちゃんと練習していなければ無理な話です。

しかし、そうはいっても1ヶ月という短期間です。
無駄な時間なんてありません。

基本的に俳優さんたちの武術トレーニングには
できる限り私も参加しました。
そうして面白いことに気づいたんです。

それは後に八光流木鶏塾の稽古を見たときにも感じた
ある特徴が彼の指導にはありました。

ということで、次回にその辺のことをお伝えしたいと思います。
<【八光流木鶏塾☆その2】につづく>

映画『YOSHI王-誕生編-』劇場公開時の日浦(左)と垣本さん(右)。この視線は俺の帽子見てる?w

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