3月11日。
それは日本人にとって大きな意味を持つ日である。

その日、私は大阪で勤めていた会社の事務所にいた。
デスクでPCに向かっていて、ふと作業がしづらいと感じた。
じっとパソコンに向かっている筈なのに何故かパソコンが左右にズレていく。

おかしい。

それが地震の揺れだと思い至って
社内にこれは地震であると触れて回った。
しばらくしてネットでも情報が発信されるようになり
それが東北で起こったことだと知った。

その時、まさかこの揺れがあれほどの、
“未曾有”と形容されるほどの大災害になろうとは考えもしていなかった。

この映画『漂流ポスト』は、
あの震災から数年が経った頃
自身は東北ではない恐らく関東のどこかにいて
かつて心を通わせた親友を震災で失ったヒロインが
その友人への思いを岩手県に実在する
『漂流ポスト』に届けに行く物語だ。

清水健斗監督自身、この震災には無関係ではなく
10年が経つ今年、この作品が劇場公開されることに
意義を感じているという。
機会を得て、大阪市内、シネ・ヌーヴォー内にて
インタビューを試みた。

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大阪市西区九条にある九条商店街を外れて、
2つほど角を曲がると「シネ・ヌーヴォー」はある。
住宅と小さな町工場が軒を連ねる街並みの中で
独特の外観なのですぐにその場所はわかる。
曲がる角さえ間違えなければ。

ようやくたどり着いた館内の2階事務所に
清水健斗監督(以下、清水)は座っていた。

作らなければという使命感

私は、挨拶もそこそこに制作のキッカケを訪ねた。
思いの出発点を確認したかったからだ。

清水は、2011年当時C M制作会社にいて
3月12日に撮影で岩手に行く予定だったという。
しかも、震災が起こる5分前まで
現地の人と電話をしていた。
東京で震災5分前に切った電話。
しかし、現地の人たちは
恐らく電話を切るや地震を感じたに違いない。

さいわい電話の相手は無事だった。
しかし、と清水は思った。

一日ズレてたら僕も行ってたんだよなぁ

ニュースで映される釜石や陸前高田
といった”被災地”は自身がロケハンで周った場所ばかり。
『生かされた』と清水は感じた。

C Mが完成したのが5月。
被災地ではちょうどゴールデンウィーク明けから
ボランティアの人数が減るとニュースで見て
有給を使って長期的ボランティアとして参加しようと被災地へ赴いた。

大槌町でのボランティアが一番多かった。
避難所で被災者の人と接しながら
映像を生業にする自分に何かできないか?
そう思いながら過ごしていたという。

それから3年が経ち、清水は危機感を覚えるようになる。
震災1年後はテレビで12時間ほど特集されていたのが
2年後には半分の6時間、3年後には3時間と
どんどん短くなって行く。

“直後”は電気や水を大切にしなければと
あれほど気遣っていたのに、もはや当たり前である。
被災地で被災者に接していた自分すらそうなら
もっと遠くにいた人たちなら尚更そうだろう。

すでに”風化”し始めている、そう感じた時
『今、作らなきゃいけない』と強く思ったという。

その彼の作品が東日本大震災から10年後
という節目の年に劇場公開となることは
“縁”なのだろう。

なぜ『漂流ポスト』なのか?

タイトルの『漂流ポスト』は岩手県陸前高田市に実在する。

喪失感は多分なくなることはないのだろう。
そして始末の悪いことに、
突然失われてしまった命への想いは行き場がない。
そんな思いを少しでも受け止める”受け皿”として
ポストは開設された。
会えなくなった命に届いてくれることを願って
残された人たちが思いを託した”手紙”を
”ポスト”に投函する。

清水は、この映画は
『漂流ポスト』で最後のピースが埋まったといった。
それは、彼がこの作品を企画する時に
ある事にこだわったことと関係がある。
本作の主人公は震災の被害を直接的には受けていない。
震災を扱った作品は
直接的な被災者を主人公に描くことが多いのに。
彼が常に口にするのは
「震災を風化させてはいけない」ということ。

考えてみればそうなのだが、
「直接的な被災者」の中で
震災が風化することはまずない。
むしろ、忘れたくても忘れられないのかもしれない。
清水はこうもいう。

要はあの時って全員被災してるんですよね。間接的に。僕らもそうだし。
間接的に被害に遭った人がこの映画を観た時に思い出すことが
風化防止に繋がると思うんですよ、僕は

そう。“風化”するのは
直接的に被害を受けていない”我々”なのだ。
直接的に被災した”主人公”ではない。
でも”誰もが経験している”からこそ、
直説的に被災していない主人公に思いを重ね
あの時のことを考える事に繋がる。
その最後のピースが『漂流ポスト』だった。

直接的には被害を受けていないけれど
一番キラキラしていた時期に心を寄せ、
共に笑い合った掛け替えのない友人を失った。
誰にでもあるかもしれなかった境遇の主人公。

しかし、そうした辛い経験を
誰かに語ることはなかなかできない。
思いを口にするには勇気が要る。
失ってしまった大切な人への思いとなればなおのこと。
口に出すことが難しいなら
紙に書くことならできるかもしれない。
それだけでも思いを心の内に抱えているよりは、
少しは楽になれるかもしれない。

重い荷物を少しの間だけ降ろして、
ベンチに腰をかけるように。

その思いを乗せた手紙が手の届かなくなった人へ
伝わることを願って投函する。
『漂流ポスト』はこの作品の重要なピースであり
震災に思いを寄せる人の存在を浮き彫りにする。

まさに清水の願いをもビジュアル化する装置だった。

ポストに込めたもう一つの思い

震災は、良くも悪くも我々の日常を大きく変化させた。
あの日から日本人は多くのことを考え実行して来た。
原発のこと、耐震基準の見直し、防災対策、etc
進んでいるものも進んでいないものもあるのが現実だが
日本の歴史の中で大きな転換点であることは間違いない。

その点について清水はインタビューの中でこういっている。

その時、(それまでは)デジタル化を進めて行って、
全部アナログに戻ったじゃないですか、一回。
アナログに戻ったことによって離れた距離だとか、
その人との繋がりとかを凄い感じるようになったと思うんですよ。
そうなった時にただ震災を描くというよりは、
そういったことも思い出させる映画にしたいと思ってて。

だからこその手紙だと清水は続ける。

手紙を書くって究極のアナログじゃないですか。
究極のアナログだし、書いてる時って1人なんで
思ってる相手との対話になるんですよ。
あとは自分との対話になる

この記事自体がデジタルの中にある。
スマホでインタビューを録音し、
ノートパソコンで記事を書き
インターネットサイトに記事をアップロードする。
究極にデジタルで生み出されたものだといっていい。

紙にペンや鉛筆で思いを綴るのと
キーボードを叩いて文字化するのは
似ているようでかなり違う感覚になる。
作中に登場する手紙のシーンは
ヒロインを通してその意味を問いかけている。

ある意味、清水流の”やさしいアンチテーゼ”と言えるだろう。

一歩踏み出そうとする人の背中を押したかった

作品の中で一番届けたかったこと
1番のポイントが何であるかを清水にぶつけた。
直球だった。すると、清水から迷いのない直球が返って来た。

辛い思いって誰でもすると思うんですけど
そこから自分の中で乗り越えて一歩踏み出すことが一番ハードルが高い。
それは私生活でもそうだし、それは被災された方でもそう。
そう言ったものを少しでも背中を押してあげられるでは無いですが
悩んでる人たちが観た時に
自分が一歩踏み出すか踏み出さないかはわからないけど
ちょっとだけそれを助けてあげられるような
映画を作りたいなと思っていたので、そこは一番気を使いましたね。

これから観る人に監督からのメッセージ

今年で震災10年になるので、
まずこの作品の一番重要な”風化を止める”というところ
この作品を観て思い出して欲しいというか、思って欲しいと思います。
もっというと今コロナの中で日常が激変してるというのもあるんですけど
あの当時、震災の当時に感じてた「日常の美しさ」であったりとか、
命の尊さであるとか、人との絆とか触れ合いとか
そういったものをこの映画を観て思い出して貰って
今後の生活に繋げていって貰えればと思います。
それが結果として風化防止につながると思うので。
そして、1年に1回でいいので
3.11の時はそういったことを思い出す日にしてくれればいいなと思います。
それでこの作品がその手助けになるようなものになればと思っております。

『漂流ポスト』監督・脚本 清水健斗(2021.2.17 インタビュー:岩崎与夛朗)
『漂流ポスト』清水健斗 監督 2021.2.17 シネ・ヌーヴォー前にて Photo by HIURA

文・インタビュー / 岩崎与夛朗(TEAM 9 NINE)
場所 / シネ・ヌーヴォー

上映情報(関西)

〜3月12日(金) シネ・ヌーヴォー、アップリンク京都にて上映中

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