聖福寺のこと☆

大阪を拠点としている花夢威がどうして長崎のお寺の話をしているのか?

それは代表である日浦明大、私との関わりのためであることは間違いありません。
私の妻の実家が長崎だったことはファクターとして影響していますが
何より一番は「万寿山聖福寺坂本龍馬いろは丸事件談判が行われた」ことがあります。

私が少年時代に観ていた『3年B組 金八先生』というドラマの第1話
主人公・坂本金八(武田鉄矢)は『自分が一番尊敬するのは坂本龍馬だ』と言い放ちます。

学校教育なんていうと随分大袈裟ですが
要するに目の前にいる生徒という人間にちゃんと向き合ってくれる大人を描いた作品で
相当な視聴率を稼ぎ、翌日の学校では金八先生新日本プロレスの話で持ち切り(?)だった。。。のは言い過ぎかw

それでもかなりの人の関心を集めたドラマシリーズでした。

その「金八先生が尊敬する坂本龍馬」ということで
武田鉄矢演じる龍馬のドラマや映画を観たし、
武田鉄矢原作・小山ゆう作画の『お〜い!竜馬』のためにヤングサンデーを買い、
そして司馬遼太郎『竜馬がゆく』にたどり着きます。

歴史の流れの中で大きな役割を果たした若者たちのお話は
若かった私を虜にしました。
物語の中の主人公たちはただのキャラクターではありません。
多くが実在し、若くして様々な偉業を成し遂げています。

長崎市玉園町(筑後通り沿胃)にある黄檗宗・万寿山聖福寺

坂本龍馬の31年(満31歳。数えで33歳)という短い生涯の中で
彼が行った数ある事績の中でも【いろは丸事件談判】は
ある意味龍馬らしさが色濃いものだと兼ねてから私は考えていました。

その談判が行われたのが長崎の聖福寺であり
そのお寺が経年劣化で建物が傷み、早々に修復しなければ存続も危ういが
お寺自体に檀家が少なく、自力では難しいため修復協力金を募る
という新聞記事を友人から教えられたのが丁度10年前のことでした。

当時大阪で勤め人をしていましたが、早速その記事にあった電話番号に連絡し
募金の方法について確認しました。

そうして、twitterのフォロワーの皆さんに様々に告知して
募金協力を依頼して募金活動のお手伝いをしてきました。

もし、私の妻が長崎市内出身でなければ、そこまでの活動をしただろうか?

【いろは丸事件談判】が行われたとされる方丈の間

していたかもしれません。
が、現実は長崎市内に年に数回でも訪れる立場にあったことが
これだけ長く活動に関わってこられたことは事実であり
そうなってみなければ何とも言えません。

ともあれ、私は平成22年(2010年)から、
万寿山聖福寺の修復支援事業に関わって来ました。

しかし途中、東日本大震災をはじめ、中越、新潟、熊本、広島と
大災害が日本列島を襲い、大きな災害で被災したわけでもない長崎のお寺が
古くなって修復しなければならない、という理由だけで募金活動をするには限界がありました。

時が過ぎゆく中で、私には大きな不安と疑問がありました。

さりとても、
坂本龍馬後藤象二郎五代友厚らが居ただろう
この長崎の聖福寺をこのまま朽ちさせて良いものか?

令和2年6月18日時点での聖福寺・方丈の間

黄檗宗・万寿山聖福寺は、伽藍の中の4基が国より重要文化財として指定されています。
山門、天王殿、鐘楼、大雄宝殿(本殿)です。
しかし、この4基の中に【いろは丸事件談判】があった
【方丈の間】のある「厨」は含まれておりません。

重要文化財として指定を受けた4基の建物は修復されるとしても
そこに入らない「方丈の間」はどうなるのか。

写真にある通り、毎年梅雨の季節になると
雨漏りや砂礫の漏れから守るためにブルーシートを畳に敷き詰め
漏水すればその箇所にバケツなどの容器を宛てがいます。
床下の傷みも激しく、随分前から早く治した方が良いと
言われてきました。

こうした問題をどうすれば解決するのか?

私が感じている不安と疑問は、坂本龍馬を愛する人びとならば
多くの人と共有できるのではないか。
これまで全国龍馬社中などでも長崎龍馬会を通じて
聖福寺の情報を提供させていただいていましたが
残念ながら大きな成果には繋がりませんでした。

やはりシンボルが必要なのです。

そんな時、令和2年正月に長崎の〈風雲児焼とり 竜馬〉にて
私を囲んだ長崎の仲間との新年会を行なっていた時
長崎龍馬会初代会長で龍馬の銅像建つうで会会長でもあった柴崎賀広氏より、
平成元年に風頭公園に建立された坂本龍馬之像の製作者
彫刻家の故 山崎和國先生のアトリエ閉鎖に伴い
アトリエに所蔵されていた坂本龍馬の半身像を聖福寺に奉納したい
という提案がありました。

同席していた聖福寺の田谷住職も二つ返事で快諾されましたが
そこで問題となったのが半身像を設置するには
台座が必要で、その費用をどうするか?ということでした。

そうして日浦は叫んだのです。
「それや!」
台座費用を全国の坂本龍馬を愛する皆様にお願いする。
そうすることが【いろは丸事件談判の最終結審の地】である
聖福寺の知名度を一気に押し上げることに繋がり
最終的には寺の修復に関する情報も合わせて周知することになる。

これしか無い。

そこから【長崎・聖福寺に坂本龍馬像を建立する会】という
長ったらしい名称が承認され、CAMPFIREにプロジェクト申請を行い
令和2年5月22日、無観客にて和プロジェクトTAISHI
『5.22 和の国日本 日本人よ、世界の龍馬となれ!』
という奉納催事を開催し、YouTubeでライブ配信しつつ、
集まった新聞4紙(読売、朝日、毎日、長崎)とテレビ局2社(テレビ長崎、長崎放送)を前に
その場で龍馬像建立のクラウドファンディングをプレスリリースする
という流れが出来上がって行きました。

今、クラウドファンディングはお陰様で目標支援額の125%を超えております。
我々の【志】を感じて支援していただいている【同志】の皆様は81名。
あと119名の方にご支援いただき、200名で坂本龍馬像を聖福寺に奉納したい
そう考えております。

支援額を超えて集まった費用は、「聖福寺修復のために使用させていただ」く旨
今回のプロジェクトには最初から明記させていただいておりましたので
7月22日の最終日までご支援を募りたいと思います。

あと、3週間と少し。

聖福寺の方丈の間は、ほぼ龍馬たちの居た頃のままの佇まいを残しています。
彼らが呼吸していたこの空間は一度失われてしまえばそれまでです。
いくら復元されたとしても、それは復元であって現存ではありません。
今はまだ、聖福寺は【現存】しています。

教科書から坂本龍馬の名前は消えるかも知れません。
しかし、少なくとも私は、
彼の名前を人々の記憶から消し去ってはいけないと
少なくとも私は思うのです。

教科書に残らないのなら
彼の事績の一つである【いろは丸事件談判】の結審の地に
銅像という形で顕し、後世に残し伝えていく。

今ならまだこの令和の坂本龍馬像の奉納者として名を刻むことが出来ます。
私たちと一緒に【龍馬のあし跡】を残しませんか?

どうぞご一考下さい。

令和2年6月27日

株式会社 花夢威 / KAMUI ENTERTAINMENT 代表取締役 監督
長崎・聖福寺に坂本龍馬像を建立する会 事務局長
日浦明大

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