1月15日(金)より京都みなみ会館、神戸映画資料館、1月16日(土)よりシネ・ヌーヴォで公開の映画『メカニカル・テレパシー』を一足先に観ることができました。
 タイトルから、てっきり近未来SFかと思っていた予想は外れ、ちょっと不思議なファンタジックラブストーリー。“心を可視化する機械”にまつわる男女三人の三角関係の話でした。(取材・文 / 大地朋子 2021.01.13)

映画『メカニカル・テレパシー』五十嵐皓子監督

あらすじ
ある大学の研究室で、「心を可視化する機械」の開発が行われていたが、
実験中に事故が起こり、開発者の三島草一が意識不明のまま目覚めなくなる。
共同研究者で草一の妻の碧は開発を続け、草一の心の可視化を試みていた。
成果を出さない開発を疎ましく思う大学側は、機械の調査という名目で、
真崎トオルを研究室に送り込む。
トオルは、機械に魅了され、また徐々に碧に惹かれ、機械開発に加担していった…
(公式HPより https://mechatelemovie.wixsite.com/mechatele/?lang=ja

 今回、監督の五十嵐皓子さんにリモート取材でお話をお聞きしました。
 五十嵐監督が『メカニカル・テレパシー』の前に、『心を可視化する機械』という短編映画を作成されていたと知り、短編から膨らませたお話かと、まず質問をぶつけてみました。

五十嵐監督「長編映画を作りたくて、映像制作者の人材発掘を行っているシネアスト・オーガニゼーション大阪(CO2)の第13回助成企画に応募するために短編を作ったんです」

 先に作った短編から長編にブラッシュアップしたものではなく、長編を作るためのプロトタイプだったようです。

五十嵐監督「短編は、私を含め三人くらいで二日間ぐらいで作ったんですよ。企画に応募するために」

 企画が通り、長編映画としてスタートしたこの作品、役者陣もCO2俳優特待生がメインキャストを務めています。全編関西弁なのは、標準語だった脚本を役者にキャラクターに合わせた話し方に変えてもらったそう。

五十嵐監督「可視化した心の演技なども、キャラクターは役者さんと作っていきました。クランクインした時に、決定稿が完成していなかったんです」

“心を可視化する”という監督が数年前から温めていた企画を落とし込んだシナリオですが、撮影現場でどんどん膨らみ変化したそうです。

五十嵐監督「心とは何か、製作しながらもずっと考えていました」

 “心って、水に似ている。”
 作中、登場人物が語る言葉が、観る者に考えさせます。
“心って、海に似ている。”
 心は誰かに影響され、変容するもの。自分の思う自分と誰かの見ている自分は違うはず。
 美しい神戸の海を背景に、寄せては返す静かな波が登場人物の心の揺らぎを感じさせます。

映画『メカニカル・テレパシー』五十嵐皓子監督

 設定はSFですが、普遍的なラブストーリーです。静かな語り口で綴られる、すれ違う男女の想いと、愛する人の心を知りたい、あの人の心に触れたい、という激しい情念が底には流れているように思いました。

映画『メカニカル・テレパシー』五十嵐皓子監督

“私は私、変わらない”と言い切るヒロインが、二人の男の間でわずかに迷い揺さぶられます。

五十嵐監督「(作中会話で)映画と原作のラストが違うことがあるとの会話があるんですが、私自身そういうのが好きなんです。同じテーマを違う描き方をしていることに興味があります」

 作中で、恋人同士が一緒に映画を観るけれど、彼は途中で寝てしまい結末を知らない、というエピソードがあります。
 同じ映画を観ていても、人生を共に歩んでいるつもりでも、違う解釈や感想がある。愛し合っていても、分かり合えているとは限らない。別の人間なのだから、完全に分かり合えることはないのだ———————— そんなことを考えさせられました。
 それでも、彼は彼女に内緒で、眠って見逃したラストをこっそり原作本で確認します。言葉にはしない、彼の彼女への想い。彼が確認しても、原作と彼女の観た映画では別物になっているのかもしれません。
 他人の心を見ようとしてばかりの主人公に、作中ぶつけられるのは、こんな問いです。

“自分の心は見えていますか?”

 たとえ、心を可視化しても、その見えている心(=姿)は、相手の願望を映したものなのか、自分の本心なのか? 作中で明確に語られはしません。

映画『メカニカル・テレパシー』五十嵐皓子監督

 この映画の解釈も、自分の心の中に見つけるものなのかもしれません。

五十嵐監督「意図的に、演出を大げさにせず抑えたトーンにしました。観た方に“心とは何か”と考え、余韻を感じて欲しかったんです」

 五十嵐皓子監督にとっては初監督長編映画です。役者陣や撮影監督、音響、美術スタッフが、それぞれアイデアや解釈を寄せてくれたおかげで出来上がった作品だそうです。

五十嵐監督「クライマックスは撮影当日まで決定稿がなくて。結構長いセリフもあったのに、役者さんたちは頑張ってくれました」

 もちろん、この映画は原案脚本演出の監督の作品ですが、映画というのはチームで作る総合芸術なのだと、お話を聞いて感銘を受けました。

五十嵐監督「映画に出たい、映画を作りたい、という役者やスタッフのピュアな情熱に引っ張られ、当初の意図よりもピュアな映画になったように思います」

 舞台である大学の実験室のように、撮影現場でそれぞれの思いが起こした化学変化。映画自体が、作中の実験のようなものなのかもしれません。
 舞台は神戸の、海辺。静かにさざ波揺らぐ、登場人物たちの心情を表現するように、 ずっと、映画のベースには波の音が聞こえている気がしました。